~~~ロングインタビュー~~~

今回70代のご夫婦に2年もうすぐ9カ月経ちますが今の心境をお聞かせください。この話の切り口からお話を伺った。

 

妻「今の心境・・・って言われても語りつくせないほどあるね。。。」

夫「まず私たちの場合は、山がすぐ後ろにあるため、放射能が高いために、除染もなかなか大変だと思うの。1回の除染で人が安心して住める環境にはならないかもしれない。」

妻「その前に除染がこちらに回ってくるのがいつになるかっていうのも問題で、除染して下がるか下がらないかの前にいつやるのかが見えないのが問題だと思うよ。期間として言われるけど、今行っている地区がズレにずれているから、こちらのほうに回ってくる先が見えないし、予定なんて信用できない。段々、急げば急ぐほど適当になっていくのではないか。という不安はあるし、やってもらえれば早くやってどのくらい効果があるか知りたいという焦りはあるし、心の中は複雑だよね。」

夫「国では1ミリSv/yが平時の値が20ミリSv/yにまで引きあがって、村は5ミリSv/yを目標にって言っているけれど難しいと思うよ」

「除染というものは高い所から順を追って除染をしていかなければいくら宅地をしても果たして効果があるかどうか・・・。雨、台風などの自然災害が起きればまた、下に流れ落ちてくるからそうした時にまた除染をするかどうか。どこの家も山を後ろに背負っているからどうなんだかね。100%除染が効果があるか信用できない状況なんだね。でも、やらなければならないという思いもある。」

妻「先が見えないよね。全然。自分がどこに行って生活をすればいいかもわからない状態なんだよね。何も方針も定まらない状況だし。」

夫「やはり、飯舘村の将来は今ばかり見ていたら先がない村になってしまう。若い世代も含めたうえで20年~30年その後の飯舘村を考えて復興を進めて行かなければならないと思う。

今、除染して年配者だけが帰って、農業を再開する意欲があるかどうかって言ったら、はっきり言ってどんどんこういう仮設住宅に暮らしていると体力も落ちてくるし、ストレスが溜まっているからどんどん飯舘村に帰って元のような自給自足して生活するって事が出来ない状況になっていく。」

妻「村を残すというにはどうするかなんだべ。住む・住まない別として」

夫「子供がいる家族は帰らない・帰れない。それで、年配者だけが帰る。元気なうちはいいけど、自分の体が自由が利かなくなったとき息子たちに負担がかかるし、でも、若い人たち・後継者がほとんど戻らない村に未来の発展がないよね。」

妻「ライフライン・インフラが整う事が1番生活するうえで大切だけれど。若い人がいない村に希望はないね。子供の負担になるような事を考えると胸張って帰る!っては言えないよね。息子たちに後々迷惑かかるから・・・。」

夫「帰ったとしても最悪孤独死と治安の悪化が不安だよね。防犯もしっかりしてほしいけど、隣近所がもともと遠いからもし、窃盗など強盗が来たら怖いし。孤独感と治安の悪化が不安。」

妻「飯舘村の行き先は不明だな。。帰っても、帰らなくてもマイナスからのスタート。国と東電からはそろそろ自立しなさいって言うような政策の進め方だし。そういわれても、どうしていいか分からないよね。」

お2人方「飯舘村の復興という事を考えるうえで必要なのは20年~30年先を見据えて考える事。将来子供・孫がもう1度飯舘村に帰りたい!あんなすばらしい場所に帰りたい。そう言ってもらえるような復興をしなければならないよね。だから、まずは私たちが戻れれば、その基盤を整備してその後の代に負担にならないように受け継いでいく事かな~。具体的には今は分からないけど、みんなで共に考えて先祖代々の土地を(帰った人)みんなで力を合わせてやっていくしかないのかな。」

 

※仮設での暮らしは今どんな状況ですか?

 

 

「ここの仮設住宅は様々なイベントがあって若い人たちが来てくれたり様々な方々の交流があるから笑顔で「今」を元気で生活できていると思うよ。こういう仮設住宅の長所と短所ってあってね。仮設の長所は隣近所が近いためにお茶飲み話をしながらコミュニケーションが取れる。そのおかげで孤独感が少ないという事。短所は、隣の物音が聞こえたり、話し声が聞こえたりするプライバシーがないためにストレスが溜まり、ストレスによっての体調が悪くなっていく。それが今の仮設で住む・住んでいるという事。」

イベントが多いけど、たまに疲れるけど、でもそのおかげで笑顔にもなれたり、若い人たちとの交流もできて元気を頂いてる。忙しいからこそ、元気で健康維持できているのかもしれない。これで何にもなければ考えこんじゃってどんどん外には出なくなって、ただ寝転んで暮らしていてもしかすると今頃認知症になっていたかもしれない。それは本当に感謝しているよ。でも、未だに毎日散歩をしていると心無い人から「いいね~散歩しているだけでいいんだから」とか「いいね~ただで暮らすことができて」って言われるんだよ~。この前あまりにも我慢できなくて「じゃ~この仮設住宅とあなたの家と交代しませんか?逆の立場になって生活しましょう。」って言っちゃった。いろんな偏見があるよね。すると、その方は黙ってしまった。でも、肩身狭い想いが年々強くなっているね。なんとなく。

でも、毎日サポートセンターがあるから血圧を計ってみんなで笑ってお話したりしているからこそ、まだ人間関係もスムーズに構築しやすくなっていると思うよ。あとはグランドゴルフとかやっているからね。それでこの前みんなで忘年会やったりしてある意味充実しているのかもしれないよね。みんなで乗り越えていっている感覚というかな。」

 

 

 ※国に何か言いたい事はありますか?

 

 

「俺がいつも言うのは1番は『一般の人と同じ日常生活をしたい』これだよね。日常の穏やかな時をちゃんとした家で過ごしたいな。人並みの気狭い思いのない生活の権利ともいうか。」

 

※飯舘村に住んでいて良かったな~って思う事はありますか?

 

 

「自然豊かなのんびりとした時間というものがあった。それが良かったなぁ~。田舎のいいところで言えば隣同士が繋がっていて隣近所の結びつきが強い所が良かった。お互い様でみんなで支え合ってあの厳しい環境でも耐え抜いて生きてきたっていうところが今しみじみ良かったな~って思う。

春は山菜採れて、夏は自分たちで野菜作って、沢の水だったから新鮮な水が飲めて、秋にはきのこ採ったり釣りを楽しんだり、そういう自然と共に暮らしてきたというところが良かったんだよね。

貧しいながらも心は豊だった。その暮らしが本当の豊な生活だった。」

 

 

 

 

聴き手として、理不尽に奪われてしまった土地と生活。そんな中でも心を奮い立たせて狭いコミュニティーでみんなで支え合いながら避難生活を送っている。心も折れるようなことも多々あったと思う。偏見な視線に傷ついて共に泣いた事も。それは今もある現実。けれども、息子の事を話している顔が穏やかなとても温かい表情で活き活きとした笑顔が戻ってくる。親が子を思うその気持ちはいつ、どんな時も不変なものなのだなと思った。辛いこの現状だけれども、心休まる瞬間もまたあるんだと思う。あの厳しい環境と美しい自然と共に育った精神はこの現実に負けないで生きていくんだろうなという感じがしました。

最後に別れ際「俺たちのことより自分の事をがんばれ!でも、聴いてくれてありがとうな~。」

ご自分が大変なのに、こんな私を思いやってくれることに有難いと思うと同時に、その思いやる気持ちが大切なんだと改めて感じた瞬間でした。